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人間(sittliche Persnlichkeit) 2007年03月23日(金)

この理想が実現せられるとして、教案を立てる際に材料と分布をどうするかという問に対しては、具体的の話は後日に譲ると云って、話頭を試験制度の問題に転じている。
「要は時間の経済にある。それには無駄な生徒いじめの訓練的な事は一切廃するがいい。今日でも一切の練習の最後の目的は卒業試験にあるような事になっている。この試験を廃しなければいけない。」「それは修学期の最後における恐ろしい比武競技のように、遥かの手前までもその暗影を投げる。生徒も先生も不断にこの強制的に定められた晴れの日の準備にあくせくしていなければならない。またその試験というのが人工的に無闇(むやみ)に程度を高く捻(ね)じり上げたもので、それに手の届くように鞭撻(べんたつ)された受験者はやっと数時間だけは持ちこたえていても、後ではすっかり忘れて再び取りかえす事はない。それを忘れてしまえば厄介な記憶の訓練の効果は消えてしまう。試験さえすめば数カ月後には大丈夫綺麗に忘れてしまうような、また忘れて然るべきような事を、何年もかかって詰め込む必要はない。吾々は自然に帰るがいい。そして最小の仕事を費やして最大の効果を得るという原則に従った方がいい。卒業試験は正にこの原則に反するものである。」
 それでは大学入学の資格はどうしてきめるかとの問に対して、
「偶然に支配されるような火の試練(フォイアプローベ)でなく、一体の成績によればいい。これは教師にはよく分るもので、もし分らなければ罪はやはり教師にある。教案が生徒を圧迫する度が少なければ少ないほど、生徒は卒業の資格を得やすいだろう。一日六時間、そのうち四時間は学校、二時間は宅で練習すれば沢山で、それすら最大限である。もしこれで少な過ぎると思うなら、まあ考えてみるがいい。若いものは暇な時間でも強い興奮努力を経験している。何故と云えば、彼等は全世界を知覚し認識し呑み込まなければならないから。」
「時間を減らして、その代りあまり必須でない科目を削るがいい。『世界歴史』と称するものなどがそれである。これは通例乾燥無味な表に詰め込んだだらしのないものである。これなどは思い切って切り詰め、年代いじりなどは抜きにして綱領だけに止めたい。特に古い時代の歴史などはずいぶん抜かしてしまっても吾人の生活に大した影響はない。私は学生がアレキサンダー大王その外何ダースかの征服者の事を少しも知らなくても、大した不幸だとは思わない。こういう人物が残した古文書的の遺産は、無駄なバラストとして記憶の重荷になるばかりである。どうしても古代に溯(さかのぼ)りたいなら、せめてサイラスやアルタセルキセスなどは節約して、文化に貢献したアルキメーデス、プトレモイス、ヘロン、アポロニウスの事でも少し話してもらいたい。全課程を冒険者や流血者の行列にしないために発明家や発見家も入れてもらいたい。」
 歴史の時間の一部を割いて、実際の国家組織に関する事項、社会学や法律なども授けてはどうかという問に対してはむしろ不賛成だと答えている。彼自身個人としては公生活の組織に関してかなりな興味をもっているが、学校で政治的素養を作る事は面白くないと云っている。その理由は第一こういう教育は官辺の影響のために本質的(ザハリヒ)に出来にくいし、また頭の成熟しないものが政治上の事にたずさわるのは一体早過ぎるというのである。その代り生徒に何かしら実用になる手工を必修させ、指物(さしもの)なり製本なり錠前なりとにかく物になるだけに仕込んでやりたいという考えである。これに対してモスコフスキーが、一体それは腕を仕込むのが主意か、それとも民衆一般との社会的連帯の感じを持たせるためかと聞くと、
「両方とも私には重要に思われる。その上に私のこの希望を正当と思わせるもう一つの見地がある。手工は勿論高等教育を受けるための下地にはならないでも、人間(sittliche Persnlichkeit)として立つべき地盤を拡げ堅めるために役に立つ。普通学校で第一に仕立てるべきものは未来の官吏、学者、教員、著述家でなくて「人」である。ただの「脳」ではない。プロメトイスが最初に人間に教えたのは天文学ではなくて火であり、工作であった……」

新知識 2006年10月29日(日)

 可能性を許容するまでは科学的であるが、それだけでは科学者とは云われない。進んでその実証を求めるのが本当の科学者の道であろうが、それまでを元禄の西鶴に求めるのはいささか無理であろう。
 ともかくも西鶴の知識慾の旺盛であった事は上述の諸項からも知られるが、しかし西鶴の知識慾の向けられた対象を、例えば馬琴のそれと比較してみるとそこに興味ある差違を見出すことが出来るであろう。
 江戸時代随一の物知り男曲亭馬琴(きょくていばきん)の博覧強記とその知識の振り廻わし方は読者の周知の通りである。『八犬伝』中の竜に関するレクチュアー、『胡蝶物語』の中の酒茶論等と例を挙げるまでもないことである。しかるに馬琴の知識はその主要なるものは全部机の上で書物から得たものである。事柄の内容のみならずその文章の字句までも、古典や雑書にその典拠を求むれば一行一行に枚挙に暇(いとま)がないであろうと思われる。
 勿論、馬琴自身のオリジナルな観察も少なくはないであろうが、全体として見るときは彼の著書には強烈な「書庫の匂い」がある。その結果として、あらゆる描写記載にリアルな、生ま生ましい実感を求めることが困難である。馬琴自身の自嘲の辞と思われる文句が『胡蝶物語』にある。「そなたのやうな生物しり。……。唐山にはかういふ故事がある。……。和漢の書を引て瞽家(こけ)を威(おど)し。しつたぶりが一生の疵(きず)になつて……」というのである。
 西鶴の知識の種類はよほど変っている。稀に書物からの知識もあるが、それはいかにも附焼刃のようで直接の読書によるものと思われないのが多い。彼の大多数の知識は主として耳から這入(はい)った耳学問と、そうして、彼自身の眼からはいった観察のノートに拠(よ)るものと思われる。
 彼が新知識、特にオランダ渡りの新知識に対して強烈な嗜慾(しよく)をもっていたことは到る処に明白に指摘されるのであるが、そういう知識をどこから得たか自分は分からない。しかし『永代蔵』中の一節に或る利発な商人が商売に必要なあらゆる経済ニュースを蒐集し記録して「洛中の重宝(ちょうほう)」となったことを誌した中に、「木薬屋(きぐすりや)呉服屋の若い者に長崎の様子を尋ね」という文句がある。「竜の子」を二十両で買ったとか「火喰鳥の卵」を小判一枚で買ったとかいう話や、色々の輸入品の棚ざらえなどに関する資料を西鶴が蒐集した方法が、この簡単な文句の中に無意識に自白されているのではないかという気がする。

姿勢角度検出装置 2006年08月05日(土)

全項目
--------------------------------------------------------------------------------
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】特許第3780086号(P3780086)
(24)【登録日】平成18年3月10日(2006.3.10)
(45)【発行日】平成18年5月31日(2006.5.31)
(54)【発明の名称】姿勢角度検出装置
(51)【国際特許分類】

G01C 19/00 (2006.01) G01C 15/00 (2006.01) G01C 19/56 (2006.01) G06T 3/00 (2006.01) H04N 5/64 (2006.01) G01P 9/04 (2006.01)
【FI】

G01C 19/00 Z G01C 15/00 101 G01C 19/56 G06T 3/00 H04N 5/64 511 A G01P 9/04
【請求項の数】5
【全頁数】6
(21)【出願番号】特願平10−26604
(22)【出願日】平成10年1月22日(1998.1.22)
(65)【公開番号】特開平11−211481
(43)【公開日】平成11年8月6日(1999.8.6)
【審査請求日】平成16年4月20日(2004.4.20)
(73)【特許権者】
【識別番号】000134257
【氏名又は名称】NECトーキン株式会社
【住所又は居所】宮城県仙台市太白区郡山6丁目7番1号
(72)【発明者】
【氏名】阿部 洋
【住所又は居所】宮城県仙台市太白区郡山6丁目7番1号 株式会社トーキン内
(72)【発明者】
【氏名】山本 直治
【住所又は居所】宮城県仙台市太白区郡山6丁目7番1号 株式会社トーキン内
【審査官】岡田 卓弥
(56)【参考文献】
【文献】特開平07−306047(JP,A)
【文献】特開平07−234126(JP,A)
【文献】特開平05−018750(JP,A)
【文献】特開平09−292229(JP,A)
【文献】特開平07−239235(JP,A)
【文献】特開平01−250014(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01C 19/00-19/72
G01C 15/00
G06T 3/00
H04N 5/64
G01P 7/00
G01P 9/00-11/02
G01P 21/00-21/02


--------------------------------------------------------------------------------

(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
互いに直交する3軸の回りの角速度を検出する3個のジャイロスコープを有する移動角検出手段と、互いに直交する少なくとも2軸の、加速度および方位をそれぞれ検出する加速度センサおよび磁気センサを有する静止角検出手段、および前記移動角検出手段と前記静止角検出手段の各出力から姿勢角度を演算する姿勢角度演算手段を備えた姿勢角度検出装置であって、前記3個のジャイロスコープの振動子は、同一のフレキシブル基板に実装され、前記各振動子が相互に垂直になるように、前記フレキシブル基板は折り曲げて回路基板に取り付けられていることを特徴とする姿勢角度検出装置。
【請求項2】
前記ジャイロスコープの振動子は、圧電セラミック材料、圧電単結晶、およびシリコンのいずれかからなることを特徴とする請求項1記載の姿勢角度検出装置。
【請求項3】
前記フレキシブル基板は、前記各振動子相互の間に、スリットが形成されていることを特徴とする請求項1または請求項2記載の姿勢角度検出装置。
【請求項4】
前記3個のジャイロスコープの各振動子の固有共振周波数相互の差分は、前記各ジャイロスコープによって測定される被測定周波数帯域よりも高く設定されていることを特徴とする請求項1ないし請求項3のいずれか記載の姿勢角度検出装置。
【請求項5】
前記各ジャイロスコープの出力から、前記各振動子によって測定される被測定周波数帯域以上の周波数を除去するように、ローパスフィルタを具備していることを特徴とする請求項1ないし請求項4のいずれか記載の姿勢角度検出装置。


--------------------------------------------------------------------------------

【発明の詳細な説明】
【0001】
【発明の属する技術分野】
本発明は、移動体やヘッドマウントディスプレイ等の姿勢を検出する姿勢角度検出装置に関する。
【0002】
【従来の技術】
バーチャルリアリティーにおいて、頭の動きを検出する方法として、ヘッドマウントディスプレイ(以下、HMDという)が使われる。従来のHMDの一つの方式は、交流磁場発生源による微弱交流磁場を、センサ部で検出し、制御演算部で頭の動きを演算して検出する方式である。また、超音波を利用するHMDもあり、超音波発生源からの超音波信号をセンサ部で検出し、制御演算部で同様に処理する方式である。
【0003】
しかしながら、交流磁場を利用した方式では、信号発生源が微弱交流磁場のため、ノイズを除去するために多くのフィルタの使用が必然であった。このため、応答性が低下し、頭の動きに比べて、HMDの映像の動きが遅くなり、気分を悪くしたり酔いを発生した。
【0004】
また、超音波を利用した方式では、他の様々な超音波信号の影響を受け、それを原因とする誤動作があった。また、超音波を利用した方式では、信号発生源とセンサとの間の遮蔽物により信号を検出できなくなる可能性があり、センサの前に腕や髪の毛があるだけで受信不能になり誤動作してしまうなどの問題があった。
【0005】
最近、ジャイロスコープ、磁気センサ、および加速度センサ等を用い、バーチャルリアリティーや、移動体の姿勢角度を検出する方式が検討されている。ジャイロスコープ、磁気センサ、加速度センサ等によって、それぞれ角速度、方位、傾斜を検出し、その情報を演算処理して姿勢角度が検出される。
【0006】
交流磁場や超音波を利用する前述の方式に比較して、ジャイロスコープ等を用いて姿勢角度を検出する方式は、信頼性、応答性等において長所がある。
【0007】
【発明が解決しようとする課題】
しかし、ジャイロスコープ、磁気センサ、加速度センサ等を用いた姿勢角度検出装置の場合、検出対象の姿勢角度が三次元的であれば、一般には、それぞれ3個のセンサを必要とする。これらのセンサを、当然に、3次元的に実装する必要があり、小型の姿勢角度検出装置の製作が困難となる。
【0008】
とくに、3個のジャイロスコープを用いた姿勢角度検出装置の場合には、小型化を実現するために各振動子を相互に近接して実装すると、各振動子の振動が相互に干渉し、ノイズを発生する原因ともなっていた。
【0009】
本発明の目的は、3個のジャイロスコープを用いても、構成が単純にして小型、製作が容易で、かつノイズを低減し高精度に検出する姿勢角度検出装置を提供することにある。
【0010】
【課題を解決するための手段】
本発明は、互いに直交する3軸の回りの角速度を検出する3個のジャイロスコープを有する移動角検出手段と、互いに直交する少なくとも2軸の、加速度および方位をそれぞれ検出する加速度センサおよび磁気センサを有する静止角検出手段、および移動角検出手段と前記静止角検出手段の各出力から姿勢角度を演算する姿勢角度演算装置を備えた姿勢角度検出装置において、3個のジャイロスコープの振動子は、同一のフレキシブル基板に実装され、各振動子が相互に垂直になるように、フレキシブル基板は折り曲げられて回路基板に取り付けられている姿勢角度検出装置である。
【0011】
本発明の姿勢角度検出装置は、ジャイロスコープの振動子は、圧電セラミック材料、圧電単結晶、およびシリコンのいずれかからなることを特徴とする。
【0012】
本発明によれば、フレキシブル基板に、各振動子の間にスリットを形成することによって、ノイズを低減した姿勢角度検出装置が得られる。
【0013】
本発明による姿勢角度検出装置は、また、各振動子の相互の固有共振周波数の差分が、各ジャイロスコープによって測定される被測定周波数帯域よりも高く設定されていることを特徴とする。
【0014】
また、本発明による姿勢角度検出装置は、姿勢角度検出装置は、各ジャイロスコープの出力から、各振動子によって測定される被測定周波数帯域以上の周波数を除去するように、ローパスフィルタを具備していることを特徴とする。
【0015】

三十分 2006年04月14日(金)

 ほんの三十分、いいえ、もっと早いくらい、おや、と思ったくらいに早く、ご亭主がひとりで帰って来まして、私の傍に寄り、
「奥さん、ありがとうございました。お金はかえして戴きました」
「そう。よかったわね。全部?」
 ご亭主は、へんな笑い方をして、
「ええ、きのうの、あの分(ぶん)だけはね」
「これまでのが全部で、いくらなの? ざっと、まあ、大負けに負けて」
「二万円」
「それだけでいいの?」
「大負けに負けました」
「おかえし致します。おじさん、あすから私を、ここで働かせてくれない? ね、そうして! 働いて返すわ」
「へえ? 奥さん、とんだ、おかるだね」
 私たちは、声を合せて笑いました。
 その夜、十時すぎ、私は中野の店をおいとまして、坊やを背負い、小金井の私たちの家にかえりました。やはり夫は帰って来ていませんでしたが、しかし私は、平気でした。あすまた、あのお店へ行けば、夫に逢えるかも知れない。どうして私はいままで、こんないい事に気づかなかったのかしら。きのうまでの私の苦労も、所詮(しょせん)は私が馬鹿で、こんな名案に思いつかなかったからなのだ。私だって昔は浅草の父の屋台で、客あしらいは決して下手ではなかったのだから、これからあの中野のお店できっと巧く立ちまわれるに違いない。現に今夜だって私は、チップを五百円ちかくもらったのだもの。
 ご亭主の話に依ると、夫は昨夜あれから何処(どこ)か知合いの家へ行って泊ったらしく、それから、けさ早く、あの綺麗な奥さんの営んでいる京橋のバーを襲って、朝からウイスキーを飲み、そうして、そのお店に働いている五人の女の子に、クリスマス・プレゼントだと言って無闇にお金をくれてやって、それからお昼頃にタキシーを呼び寄せさせて何処かへ行き、しばらくたって、クリスマスの三角帽やら仮面やら、デコレーションケーキやら七面鳥まで持ち込んで来て、四方に電話を掛けさせ、お知合いの方たちを呼び集め、大宴会をひらいて、いつもちっともお金を持っていない人なのにと、バーのマダムが不審がって、そっと問いただしてみたら、夫は平然と、昨夜のことを洗いざらいそのまま言うので、そのマダムも前から大谷とは他人の仲では無いらしく、とにかくそれは警察沙汰になって騒ぎが大きくなっても、つまらないし、かえさなければなりませんと親身に言って、お金はそのマダムがたてかえて、そうして夫に案内させ、中野のお店に来てくれたのだそうで、中野のお店のご亭主は私に向って、
「たいがい、そんなところだろうとは思っていましたが、しかし、奥さん、あなたはよくその方角にお気が附きましたね。大谷さんのお友だちにでも頼んだのですか」
 とやはり私が、はじめからこうしてかえって来るのを見越して、このお店に先廻りして待っていたもののように考えているらしい口振りでしたから、私は笑って、
「ええ、そりゃもう」
 とだけ、答えて置きましたのです。
 その翌る日からの私の生活は、今までとはまるで違って、浮々した楽しいものになりました。さっそく電髪屋に行って、髪の手入れも致しましたし、お化粧品も取りそろえまして、着物を縫い直したり、また、おかみさんから新しい白足袋を二足もいただき、これまでの胸の中の重苦しい思いが、きれいに拭(ぬぐ)い去られた感じでした。
 朝起きて坊やと二人で御飯をたべ、それから、お弁当をつくって坊やを脊負い、中野にご出勤ということになり、大みそか、お正月、お店のかきいれどきなので、椿屋(つばきや)の、さっちゃん、というのがお店での私の名前なのでございますが、そのさっちゃんは毎日、眼のまわるくらいの大忙しで、二日に一度くらいは夫も飲みにやって参りまして、お勘定は私に払わせて、またふっといなくなり、夜おそく私のお店を覗(のぞ)いて、
「帰りませんか」
 とそっと言い、私も首肯いて帰り支度をはじめ、一緒にたのしく家路をたどる事も、しばしばございました。
「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には、幸福も不幸も無いものです」
「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」
「わからないわ、私には。でも、いつまでも私、こんな生活をつづけて行きとうございますわ。椿屋のおじさんも、おばさんも、とてもいいお方ですもの」
「馬鹿なんですよ、あのひとたちは。田舎者ですよ。あれでなかなか慾張りでね。僕に飲ませて、おしまいには、もうけようと思っているのです」
「そりゃ商売ですもの、当り前だわ。だけど、それだけでも無いんじゃない? あなたは、あのおかみさんを、かすめたでしょう」
「昔ね。おやじは、どう? 気附いているの?」
「ちゃんと知っているらしいわ。いろも出来、借金も出来、といつか溜息(ためいき)まじりに言ってたわ」
「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬ事ばかり考えていたんだ。皆のためにも、死んだほうがいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死ねない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」
「お仕事が、おありですから」
「仕事なんてものは、なんでもないんです。傑作も駄作もありやしません。人がいいと言えば、よくなるし、悪いと言えば、悪くなるんです。ちょうど吐くいきと、引くいきみたいなものなんです。おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」
「え?」
「いるんでしょうね?」
「私には、わかりませんわ」
「そう」
 十日、二十日とお店にかよっているうちに、私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。また、お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。立派な身なりの、五十年配の奥さんが、椿屋の勝手口にお酒を売りに来て、一升三百円、とはっきり言いまして、それはいまの相場にしては安いほうですので、おかみさんがすぐに引きとってやりましたが、水酒でした。あんな上品そうな奥さんさえ、こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だと思いました。トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起り得ない事でしょうか。
 神がいるなら、出て来て下さい! 私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。
 その夜は、雨が降っていました。夫は、あらわれませんでしたが、夫の昔からの知合いの出版のほうの方で、時たま私のところへ生活費をとどけて下さった矢島さんが、その同業のお方らしい、やはり矢島さんくらいの四十年配のお方と二人でお見えになり、お酒を飲みながら、お二人で声高く、大谷の女房がこんなところで働いているのは、よろしくないとか、よろしいとか、半分は冗談みたいに言い合い、私は笑いながら、
「その奥さんは、どこにいらっしゃるの?」
 とたずねますと、矢島さんは、
「どこにいるのか知りませんがね、すくなくとも、椿屋のさっちゃんよりは、上品で綺麗だ」
 と言いますので、
「やけるわね。大谷さんみたいな人となら、私は一夜でもいいから、添ってみたいわ。私はあんな、ずるいひとが好き」
「これだからねえ」
 と矢島さんは、連れのお方のほうに顔を向け、口をゆがめて見せました。
 その頃になると、私が大谷という詩人の女房だという事が、夫と一緒にやって来る記者のお方たちにも知られていましたし、またそのお方たちから聞いてわざわざ私をからかいにおいでになる物好きなお方などもありまして、お店はにぎやかになる一方で、ご亭主のご機嫌もいよいよ、まんざらでございませんでしたのです。
 その夜は、それから矢島さんたちは紙の闇取引の商談などして、お帰りになったのは十時すぎで、私も今夜は雨も降るし、夫もあらわれそうもございませんでしたので、お客さんがまだひとり残っておりましたけれども、そろそろ帰り支度をはじめて、奥の六畳の隅に寝ている坊やを抱き上げて脊負い、
「また、傘をお借りしますわ」
 と小声でおかみさんにお頼みしますと、
「傘なら、おれも持っている。お送りしましょう」
 とお店に一人のこっていた二十五、六の、痩せて小柄な工員ふうのお客さんが、まじめな顔をして立ち上りました。それは、私には今夜がはじめてのお客さんでした。
「はばかりさま。ひとり歩きには馴れていますから」
「いや、お宅は遠い。知っているんだ。おれも、小金井の、あの近所の者なんだ。お送りしましょう。おばさん、勘定をたのむ」
 お店では三本飲んだだけで、そんなに酔ってもいないようでした。

一緒に電車に乗って 2006年04月14日(金)

 一緒に電車に乗って、小金井で降りて、それから雨の降るまっくらい路を相合傘で、ならんで歩きました。その若いひとは、それまでほとんど無言でいたのでしたが、ぽつりぽつり言いはじめ、
「知っているのです。おれはね、あの大谷先生の詩のファンなのですよ。おれもね、詩を書いているのですがね。そのうち、大谷先生に見ていただこうと思っていたのですがね。どうもね、あの大谷先生が、こわくてね」
 家につきました。
「ありがとうございました。また、お店で」
「ええ、さようなら」
 若いひとは、雨の中を帰って行きました。
 深夜、がらがらと玄関のあく音に、眼をさましましたが、れいの夫の泥酔のご帰宅かと思い、そのまま黙って寝ていましたら、
「ごめん下さい。大谷さん、ごめん下さい」
 という男の声が致します。
 起きて電燈をつけて玄関に出て見ますと、さっきの若いひとが、ほとんど直立できにくいくらいにふらふらして、
「奥さん、ごめんなさい。かえりにまた屋台で一ぱいやりましてね、実はね、おれの家は立川でね、駅へ行ってみたらもう、電車がねえんだ。奥さん、たのみます。泊めて下さい。ふとんも何も要りません。この玄関の式台でもいいのだ。あしたの朝の始発が出るまで、ごろ寝させて下さい。雨さえ降ってなけや、その辺の軒下にでも寝るんだが、この雨では、そうもいかねえ。たのみます」
「主人もおりませんし、こんな式台でよろしかったら、どうぞ」
 と私は言い、破れた座蒲団を二枚、式台に持って行ってあげました。
「すみません。ああ酔った」
 と苦しそうに小声で言い、すぐにそのまま式台に寝ころび、私が寝床に引返した時には、もう高い鼾(いびき)が聞えていました。
 そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその男の手にいれられました。
 その日も私は、うわべは、やはり同じ様に、坊やを背負って、お店の勤めに出かけました。
 中野のお店の土間で、夫が、酒のはいったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで新聞を読んでいました。コップに午前の陽の光が当って、きれいだと思いました。
「誰もいないの?」
 夫は、私のほうを振り向いて見て、
「うん。おやじはまだ仕入れから帰らないし、ばあさんは、ちょっといままでお勝手のほうにいたようだったけど、いませんか?」
「ゆうべは、おいでにならなかったの?」
「来ました。椿屋のさっちゃんの顔を見ないとこのごろ眠れなくなってね、十時すぎにここを覗いてみたら、いましがた帰りましたというのでね」
「それで?」
「泊っちゃいましたよ、ここへ。雨はざんざ降っているし」
「あたしも、こんどから、このお店にずっと泊めてもらう事にしようかしら」
「いいでしょう、それも」
「そうするわ。あの家をいつまでも借りてるのは、意味ないもの」
 夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
 私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
 と言いました。

三之助の手紙 2006年02月18日(土)

 この書に収むるところは自分が今日までに書いた感想および論文のほとんど全部である。この書の出版は自分にとって二つの意味を持っている。一は自分の青春の記念碑としてであり、二は後(おく)れて来たる青春の心たちへの贈り物としてである。自分は今自分の青年期を終わらんとしつつある。しこうして今や青春の「若さ」を葬って、年齢にかかわりなき「永遠の若さ」をもって生きゆかんことを今後の自分の志向となしている。自分は自分の青春と別れを告げんと欲するに臨んで、じつに無量の感慨に浸らずにはいられない。自分は自分の青春に対してかぎりなき愛惜を感じる。そして労(ねぎら)う心地をさえ抑えることができない。自分の青春はじつに真面目(まじめ)で純熱でかつ勇敢であった。そして苦悩と試練とにみちていた。そして自分は顧みてそれらの苦悩と試練との中から正しく生きゆく道を切り開いて、人間の霊魂のまさに赴くべき方向に進みつつあることを感じる。そして自分は自分がその青春の、そのようにも烈しかった動乱の中にあって、自己の影を見失わないで、本道からはずれないでくることができたことを心から何者かの恵みと感じないではいられないのである。自分はいま自分の青春を埋葬して合掌(がっしょう)し焼香したい敬虔(けいけん)な心持ちでいる。そして自分が青春を終わるまでに自分が触れ合ってきた、自分を育てるに役立ってくれた――多少とも自分が傷つけているところの――人々に謝しその幸福を祈らないではいられない気がする。自分の青春はまたじつに多くの過失に富んでいたのである。自分は自分に後れて来たる青年が、自分のごとく真摯(しんし)に、純熱に、勇敢に、若々しく、しかしながら自分のごとく過失をつくることなく、したがって自分および他人の運命を傷つけることなく、賢明にその青春を過ごさんことを心から祈らないではいられない。それらの過失はじつに純なる「若さ」に伴うものではあるが、しかしそれは一生の運命の決定的契機をつくるほど重大なるものであり、その過失の結果はじつに永くして怖ろしいからである。現に自分はその過失の報いから今なお癒やさるることを得ずして、不幸な境遇の中に生きている。ただ自分はその境遇の中に祝福を見いだす道の暗示を――それは自分の青春そのものが示唆したのであるが――かすかながらも掴(つか)み得ているために、今後の生活の希望を保つことができるのである。自分はそこに自分の過失を償(つぐな)い、生かし、いなむしろその過失によっていっそう完きものに近づく知恵を獲得することができたと思っている。この書はその過程の記録である。自分はこの書が後れて来たる青年に対して有益であることを信じないではいられない。それは自分の青春がすぐれて美しく、完全であるからではなく、かえって多くの過失を具(そな)えているからである。そしてその過失が償われて――少なくとも償う本道の上に立って進みつつあるからである。自分はこの書を後れて来たる青年に対して、今の自分が贈り得る最上の贈り物であることを信じる。人がもし心を空(むな)しくしてこの書を初めより終わりまで読むならば、きっと何ものかを得るであろう。そこには一個の若き霊魂が初めて目醒め、驚き、自己の前に置かれたるあらゆる生活の与件に対(む)かって、まっすぐに、公けに、熱誠に働きかけ、憧(あこが)れ、疑い、悩み、また悦(よろこ)び、さまざまの体験を経て、後に初めて愛と認識との指し示す本道に出でて進みゆき、ついにそれらの与件を支配する法則およびその法則の創造者に対する承認および信順の意識の暗示に達するまでの、生の歩みの歴史がある。この集に収むる文章はその思索の成績において必ずしも非常にすぐれているとは言わないが、その文章の書かれた動機は、いずれの一つもその表出の理由と衝動とにみちていないものはない。そして一つのものから次のものへと推移する過程には必然的な体験の連結がある。その意味において真に霊魂の成長の記録である。人は初めのものより、終わりのものへと進むに従って、しだいにその思索と体験とが深められ、その考え方は多様にかつ質実となり、初めには裁いたものをも赦(ゆる)し、斥(しりぞ)けたものをも摂(と)り、曖昧(あいまい)なる内容は明確となり、しだいに深く、大きく、かつ高くなり、その終わりに近きものは、もはや「恵み」の意識の影の隠見するところにまで達せんとしつつあるのを見いだすであろう。その意味においては、人はむしろ自分をあまりに早く老いすぎるとなすかもしれないほどである。実際自分には壮年期と老年期と同時に来たような気がしている。それは必ずしも自分が緻密なる思索に堪え得ざる頭脳の粗笨(そほん)と溌剌たる体験を支え得ざる身体の病弱とのためではなく、じつに自分のごとき運命を享けたる者、早き死を予感せるものが、彼岸(ひがん)と調和との思慕に急ぐのは必然かつ当然なることである。その意味において自分は「恋を失うた者の歩む道」より以後のものは、壮年期以後の人に対しても読まるることを適当でないとは思わない。もとよりこの書には、ことにその初めの頃のものは稚(おさな)く、かつ若さに伴う衒気(げんき)と感傷とをかなりな程度まで含んでいる。しかしながら自分は自分の青春の思い出を保存するためにかなりの羞恥(しゅうち)を忍んでそれをそのままに残しておいた。それらの衒気と感傷とはそれが真摯にして本質的なる稟性(ひんせい)に裏付けられているときには青春の一つの愛すべき特色をつくるものである。実際自分はそれらのものを全く欠ける青年を、青年として愛することは困難を感ずる。またかなりに目障(めざわ)りな外国語の使用等も学生(シューレル)としての気分を保存するためにあえてそのままにしておいた。「生命の認識的努力」は幼稚であり、学術的には認識論の入門にすぎないけれども、その頃の自分にとってはじつに重要なものであり、この文章を書いた頃の尊い思い出を愛惜するためにどうしても割愛する気になれなかった。かつこの文章には一般の青年がその一生を哲学的思索に捧げない人といえども、必ず知っておかなければならない程度の、認識論の最も本質的に重要なる部分をことごとく含んでいるからである。そして自分が常に抱いている、中学の課程において、自然科学を教うる際に、認識論ことに唯心論的な認識論の入門をあわせて教えなければならないという意見の実施の代用として役立つことを信じるからである。実際自分は中学の誤まれる教授法によって授けられたる自然科学の知識の、実在の説明としての不当の――その正しき限界と範囲以上の――要求から解放せらるるまでに、どんなに不必要な、しかもじつに惨憺(さんたん)たる苦悩を経験したことだろう。自分はそのために青春の精力の半ば以上を費(ついや)したといってもいい。この事たる、ただ中学において、自然科学の教師が、その知識が実在の説明として、ある一つの考え方であって、唯一のものではなく、他に多くのそしてその中にはたとえば唯心論のごとく、全然反対の考え方もあることを付加するだけの用意を持っていさえしたならば、免るる、少なくとも半減することができたのである。そしておそらく私のみでなく、ほとんどすべての青年が同じ苦悩を経験するであろうと思わないではいられない。その意味において自分のこの稚き一文はかなりな効果ある役目を果たすであろうと思っている。またこの書にはかなりしばしば同一思想の反復あるいは前後矛盾せる文章を含んでいる。これはすなわち自分が同一の問題を繰り返し、くりかえし種々の立場より眺め、考え、究めんとせるためおよび思索と体験の進むに従って、前には否定したものをも摂(と)り容(い)れ、あるいは前に肯定したものをも、否定するに至ったためである。思想が必然的連絡を保って成長してゆく過程を痕(あと)づけるものとして、かかる反復と矛盾とは、避くべからざるものであるのみならずまたその思索と体験の真摯なることを証するものであると思う。
 この書は青年としてまさに考うべき重要なる問題をことごとく含んでいるといってもいい。すなわち「善とは何ぞや」、「真理とは何ぞや」、「友情とは何ぞや」、「恋愛とは何ぞや」、「性欲とは何ぞや」、「信仰とは何ぞや」等の問題を、たといけっして解決し得てはいないまでも、これらに関する最も本質的な考え方(デンケンスアルト)を示している。しこうして考え方はある意味において解決よりも重要なのである。一般に自分はこの書の学術的部分には恃みを持っていない。ことに「隣人としての愛」より後は自分の興味はしだいに哲学より離れ、したがって表現法も意識的に学術的用語を避けて、直接に「こころ」に訴えるごときものを選ぶに至った。自分がこの書において最も恃みをおいている点は、人間がまさに人間として考うべき種々の重要なる問題を提出しそれについての最も本質的なる考え方を示し、かつ人間の「こころ」の種々なるムードについて、深く、遠く、かつ懐しく語り得ていると信じる点にある。それらの心情(ゲミュートチ)の優しさ(エルリッヒカイト)において、種々の尊き「徳」について語り得ていると信じる点にある。自分はこの書が読む人の心を善良に、素直に、誠実にかつ潤いに富めるものとならしむるに少しでも役立つことを祈るものである。一個の人間がいかに生きているかは、善悪ともに、他の共に生けるものの指針となる。その意味においてこの書は、その青春の危険多き航路を終わりたる水夫が、後れて来たる友船へ示す合図である。自分は彼らの舟行の安らかならんことを心より願う。しこうして自分もまた愛と認識との指す方向に航路を定め、長き舟行の後ついに彼岸に達せんことを念願するものである。がそれは恵みの導きなくしては遂げらるるとは思えない。願わくば造りたるものの恵み、自分とおよび、自分とともに造られたるものの上にゆたかならんことを。

徹頭徹尾純一 2006年02月18日(土)

 この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
 私はその生命の春に目ざめて、人生の探究に出発したる首途にある青年たちにはこの書がまさしく、示唆(しさ)に富める手引きとなり得るであろうことを今も信じている。私が恃(たの)みを持つのは思想的内容そのものよりも人生に対する態度である。いかなる態度をもって生きゆくべきか、その誠と力とラディカルな自由性とは今の青年たちに感染してけっして間違いないであろう。この書はたとい思想的に未熟と誤謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。私は反語とか諷刺(ふうし)とかの片鱗をもって論述を味わいつける、大家にも普通なレトリックさえけっして用いなかったのである。徹頭徹尾純一にして無雑な態度を守り得たことはこの書が若き人々に広く読まれるに際しての私のひとつの安心である。小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる今日の悪弊から青年たちを防ぐのに役立つでもあろう。
 この書にはいわゆる唯物論的な思想は無い。一般的にいって、社会性に対する考察が不足している。しかし生命に目ざめたる者はまず自己の享(う)けたるいのちの宇宙的意義に驚くことから始めねばならぬ。認識と愛と共存者への連関とはそこに源を発するときにのみ不落の根基を持ち得るのである。社会共同態の観念もわれと汝と彼とをひとつの全体として、生を与うる絶対に帰一せしむる基礎なくしては支えがたい。社会科学の前に生命の形而上学がなくてはならぬ。
 この書を出版してよりすでに十五年を経ている。私の思想はその間に成長、推移し、生の歩みは深まり、人生の体験は多様となった。したがって今日この書に盛られているとおりの思想を持ってはいない。しかし私の人間と思想とのエレメントは依然として変わりない。そして「たましいの発展」を重視する私は永久に青年たちがそこを通って来ることの是非必要なところの感じ方、考え方の経路を残しておきたいのである。けだし思想は生命が成長するために脱ぎ捨ててこなければならぬ殻皮である。しかしその殻皮を通らずに飛躍することは何人にもあたわぬ。青春時代には青春の被覆をまとうていねばならぬ。生命と認識と恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世との配慮はやや後(おく)れてくるべきものであり、それが青春の夢を食い尽くすことは惜しむべきである。世に属(つ)くことと天につくこととの間には聖書のしるすごとく越えがたい溝がある。まず天と生命とに関する思想と感情とにみちみちてその青春を生きよ。私が私の青春を回顧して悔いが無いのはそのためである。やがて世はその乾燥と平凡と猥雑との塵労をもって、求めずとも諸君に押し寄せるであろうからである。

白樺 2006年02月18日(土)

今日の心情は、その今日の性格において愛と死の問題をわが生の意義の上に悩み、感じ、知りたいと思っているのだと思う。この小説が後半まで書き進められたとき、作者の心魂に今日のその顔が迫ることはなかったのだろうか。愛と死の現実には、歴史が響き轟いているのである。
 武者小路氏はルオウの画がすきで、この画家が何処までも自分というものを横溢させてゆく精力を愛している。そういう主観の肯定が日本の地味と武者小路氏という血肉とを濾(こ)して、今日どういうものと成って来ているか。
 そこには『白樺』がもたらした人間への愛の精神が具体的にどう消長したかも語られていて、さまざまの感想を私たちに抱かせると思う。

武者小路実篤氏 2006年02月18日(土)

武者小路実篤氏の独特な文体は、『白樺』へ作品がのりはじめた頃から既に三十年来読者にとって馴染(なじみ)ふかいものであり、しかもこの頃は、一方で益々単純化されて来ているとともに練れて光沢を帯びたようなところが出来ている。そのような文章で描き出されている「愛と死」の夏子の愛くるしさは躍如としているし、その愛らしい妹への野々村の情愛、夏子を愛する村岡の率直な情熱、思い設けない夏子の病死と死の悲しみにたえて行こうとする村岡の心持など、いかにもこの作者らしい一貫性で語られている。
 こういう文章のたちと、こういうテーマの扱い方の小説は、今日めいめいの青春を生きている読者たちにとって、『白樺』の頃武者小路氏の文学が周囲につたえた新しい脈動とはおのずから性質の違った親愛、わかりよさに通じるようなものとして受けいれられるのだろうと思う。
「愛と死」は、しかし、最後の一行まで読み終ると、この作品の世界の一種の美にかかわらず、私たちの心に何か深い疑問をよびさますものがある。そして、その疑問は、その単行本の後書きを読むと一層かき立てられる。「愛と死、之は誰もが一度は通らねばならない。人間が愛するものを持つことが出来ず、又愛するものが死んでも平気でいられるように出来ていたら、人生はうるおいのないものになるだろう。純粋にそれを味わい得ることは稀だ」その純粋に経験された場合として、愛らしい夏子と村岡と夏子の死が扱われているわけなのだが、今日の時々刻々に私たちの生に登場して来ている愛と死の課題の生々しさ、切実さ複雑さは、それが夏子を殺した自然と一つものでないというところにある。
 今日の心情は、その今日の性格において愛と死の問題をわが生の意義の上に悩み、感じ、知りたいと思っているのだと思う。この小説が後半まで書き進められたとき、作者の心魂に今日のその顔が迫ることはなかったのだろうか。愛と死の現実には、歴史が響き轟いているのである。